博物館の階段に心を射られた後、キャンパスを歩いていたら、
「カフェがオープン」の看板が。
それは要チェック!
と行きついた「西南学院百年館」は、
1階のカフェの他、子どもプラザや会議室などが入る、
地域に公開されている場所でした。
一角に100周年の資料展示コーナーがあり、
100年前の福岡、アメリカなど、
知らない歴史をとても興味深く拝見しました。
思いがけない大満足とわずかな違和感を抱え、
学食で90円のコーヒータイム。
探し物をgoogle検索しました。
何気なく。
今見たことの復習のつもりで。
探し物とは、
「西南学院創立百周年に当たっての平和宣言」です。
画面に現れた「平和宣言」原文は想像以上のもので、
頭を殴られたようでした。
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体育教育を「軍事教練」の場とし、
学院の名で学徒を出陣させ、
彼らのいのちを死に至らしめ、
他国の人々を殺すことを是認したのでした。
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という絞り出すような一文。
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「御真影」の「下賜」、
御真影と教育勅語を納めた「奉安殿」を建設、
宮城遥拝、
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などの数々の言葉。
さらに、
戦後長い間に渡り、
それらを公言してこなかったとも言及されています。
結びは、
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「そのような過去と将来に想いを馳せ
(中略)
今その志への決意をここに表明します」
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以前にこの宣言文公表のことは新聞でも見たし話題にもなったし、
友人からも本当にすごい、と教えてもらっていながら、
原文を読んでいませんでした。
とって返して、さっき見た「わずかな違和感」を確かめに行きました。
100年の年表にちりばめられた写真の中で、
ある場所だけ、
違和感を感じるほどに、なぜか饒舌でした。
戦時下の「御真影の奉納」や「軍事教練」の写真。
そしてそれは、
「ヘレンケラー来校」の記念写真と並んでいます。
小さな一枚、ほんの10cmほどの表現ですが、
あえてこの場に掲示するこの形に至るには、
どれほどの逡巡があり勇気が要ったかと思います。
今は博物館となっている旧校舎で、
時間が刻まれた姿がそのままの
学生たちの100年間(波打つ階段)も、
百周年の年表の写真も、
「忘れない」という意志なのだと感じます。
残すことで創る未来もあります。
時々思い返して読めるように、
誰かと話題にしたときに読めるように、
ここに貼っておこう。
自分のために。
人間はすぐに忘れてしまう生き物なので。
短く、しかし重たい一枚です。
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西南学院創立百周年に当たっての平和宣言
―西南学院の戦争責任・戦後責任の告白を踏まえて―
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