まるでパリの凱旋門のような・・
と思われたなら、まさにその通りで、
【独立門】は凱旋門をモデルに建築されました。
韓国・ソウルの西大門(ソデムン)独立公園の入り口にあり、
広い芝生と樹々の緑によく映えます。
素敵な姿のこの石造物ですが、
激動の時期に生まれ、
20世紀の歴史がギュッと詰め込まれています。
■時期と建造物
1896年に着工、
1897年に完成。
設計はロシアの建築技師でした。
1894年に日清戦争で清国が敗れ、
当時の朝鮮が清国の属国から離れた時に、
全国民的な募金運動により建てられました。
内側にはハングル、
外側には漢字で、
「独立門」という文字と、
大韓帝国皇室の象徴である「すももの花(梨花)」が描かれています。
内側・外側というのは次の「迎恩門」で。
■「独立門」の意味と「迎恩門」
朝鮮王朝は城壁でぐるりと囲まれた
城塞都市、あるいは羅城、という作りでした。
城壁には東西南北の大門と、
その他いくつもの小門があり、
ここは「西大門」の位置でした。
現在も姿を残す大門が、
観光でも馴染みのある
“東大門”と“南大門”の2つです。
さて、この西大門を出て、道はどこへ続くのか。
それは清国の都、北京でした。
つまり、
この道のこの場所は、
明・清時代の約300年にわたり、
北京からの使者を城内に迎える場所でした。
西大門とは別に、
西大門のすぐ近くに建っていた、
使者を迎えるための専用の門が
「迎恩門」。
日清戦争後にそのことから解放された喜びで、
迎恩門を壊し、
そのすぐ後ろに、まるで迎恩門を覆い隠すように建てられたのが
この「独立門」です。
先ほどの、
・内側がハングル
・外側が漢字
というのは、城壁を境に見たときの内と外です。
■その後、そして今
その喜びも束の間、
わずか10数年後の1910年には、
日本で言う“日韓併合”で日本の植民地となり、
1945年まで日帝強占期が続きました。
この一帯は今、独立と民主化を記念する公園として整備され、
独立運動記念塔や西大門刑務所歴史館とともに、
20世紀を眺めた「独立門」はあります。
独立門の足元には、
壊された「迎恩門」の柱礎だけが残っており、
「迎恩門柱礎」と「独立門」は
いずれも国の史跡です。
近隣は高層ビルが立ち並び、
都市整備のために二つの門は元の場所から70m北西の
今の場所へ移されています。
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2019年の撮影時に、
迎恩門の柱礎は修復工事中でした。
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最後の写真の、
「迎恩門」(1890)と、
「敦義門(西大門)」(1900年代初)は、
図録『西大門刑務所歴史館』より。