なんといい場所なのでしょう!
邪馬台国論争では九州の重要遺跡として、
筑後平野の平塚川添遺跡の名前が上がります。
この焼ノ峠古墳は、
その平野の入り口でもあり、
有明海へ繋がる位置でもあり、
広い平野を一望できる場所でもある、
小高い場所に造られています。
写真は北の博多湾方面を向いており、
遠くの山並みは大宰府政庁を囲む大野城や、
霊山・宝満山。
左前方は基肄城。
これも大宰府政庁を囲む古代山城の一角です。
左後方に目を移すと
有明海が見えます。
この日は夕刻でしたので見事な夕陽に見惚れました。
現地に立っただけで、
ここがいかに重要な場所だったか伝わるとは、
こういうこと。
今も、九州自動車道の南北と東西がクロスする
鳥栖ジャンクションはすぐそこです。
古墳時代前期の国史跡。
九州では珍しい前方「後方」墳が、
ここにある意味は
どういうことなのでしょうか。
あまり知られているとは言えない
こういう古墳にこそ、
歴史の機微が潜んでいるようで、ときめきます。
福岡県筑前町 焼ノ峠古墳(古墳時代前期、国史跡)
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