遺跡好きが作る現地へ行きたい人のためのブログ

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酒蔵の甑下駄(こしきげた)
Japan

杜氏さんの甑下駄

新酒を嗜むうれしい季節。
この時期だけのお酒は、
即、完売です。
ぼやっとしてたら今年も逃してしまいました。

残念だけれど、ちょっとうれしくもあり。

あの酒蔵のあのお酒を、
そろそろかな、
そろそろだな、と、
同じ時にそわそわと心待ちにしている人が
たくさんおられるということ。

全く知らない者同士なのに、
ゆるく繋がっているような。

写真は、甑下駄(こしきげた)。

かつて使われた酒造りの道具です。
ある蔵の一角に展示されていました。

甑とは米を蒸す桶のこと。
裸足に甑下駄をはき、
手に分司(ぶんじ=木のスコップ)を持って
蒸気の立ち上る大きな甑の中へ。

やけどするような熱い米にのって、
杜氏さんたちは米をとりだし、
酒を醸していました。

極寒の季節の、
夜が明ける前の一番寒い時間が、
杜氏さんの仕事時間だと聞きました。

大切にいただきます。

 

*写真は綾杉酒造場展示室にて。文は他の酒蔵の取材も含みます

 

 

 

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旦過市場 水上マーケット
Japan 雑記

旦過市場―最後の水上マーケット

旦過市場のこの姿がついに、なくなる。

北九州の台所。
日本で唯一となった水上マーケット。

長きにわたる建替え議論もいよいよここまで。
管理運営の優先交渉権者も決まり、
2020年度中には国の事業認可を得る予定。

大正時代、
川を行きかう船が荷を揚げ、
商売したのが始まりのここは、

100年のあいだ、
繁栄し、
戦時下には強制撤去をうけ、
戦後は闇市的な味さえまとって大いに賑わい、
小倉の庶民と生きてきた。

繁栄したころ、
川に支柱をたてて増築したのは、
今の法律に照らせば
建築面、防災面など、
問題はあるのはわかる。

そこをなんとか・・・、
という残念な気持ちは言うまいか。
当事者の方こそなのだから。

小倉で過ごした人ならば、
ひと目、お別れに行きたいはず。
目に焼き付けておきたいはず。

通学のバスの乗り継ぎで、
「旦過市場」停で降り、
早朝の市場を抜けていった自分なぞは本当に。

今年、見納めです。

Tanga Market, Kokura,Kitakyushu-City

The floathing market that continues over 100 years ago

 

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能古島に沈む夕陽と波の音
Japan

博多湾の波の音。多くを呑み込み穏やかな穏やかな波の音 Momochihama, Nokonoshima Island

波の音があまりに良くて、
思わず浜に座りこむ。

博多湾。

新羅使も渤海使も行き来した海。
空海も最澄も大陸へと漕ぎ出た海。
日宋貿易で中国商人が闊歩した海。
元寇が押し寄せた海。
先の終戦後は大勢が引き揚げてきた海。

目の前の島は能古島。
作家・檀一雄が終の棲家とされた島。
井上陽水のあの名曲で砂がサラサラ泣いた島。

今この浜は、
韓国中国の旅行者に人気のスポットで、
たくさんの若者が自撮り棒で熱心に写真撮影中。

多くのことを呑み込んで、
穏やかな穏やかな波の音。

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飛行機から大宰府政庁と大野城
Japan 雑記

空から大宰府政庁 令和初日に Dazaifu

新しい時代となりました。

私たちがいつも本で読み、
講座で学ぶことが、
目の前で繰り広げられています。
今もこの場所も私たちも、
1000年、2000年の後には、
同じように過去の歴史となっていきます。

いつも触れている歴史も、
単なる文字やモノでなく、
遠い過去の時間の中で生きた「人」だということ。

血が通い、
喜怒哀楽があり、
世の理不尽や無常、
そして希望の積み重ねであったということ。

当たり前のことに思いが至ります。

豆粒のようなこの毎日を、
せめて明るく一所懸命、
いい時代だったねと
バトンタッチできるように過ごしたい。

 


「令和」で話題の大宰府政庁を空からどうぞ。
(写真は昨年)

古代山城の大野城の右の麓に「大宰府政庁」、
政庁左奥に隣接するのが”令和”で話題の「坂本八幡宮」、
右には「学校院跡」や天智天皇(中大兄皇子)が母の斉明天皇を弔うために建てた「観世音寺」、
少し離れた右奥の青い屋根が「九州国立博物館」、
その手前の森が菅原道真公を祀る「太宰府天満宮」です。

 

白村江の敗戦後には、
この古代山城で、
遠く博多湾を見張り、
今日なのか明日なのかと
唐の大軍が攻めてくることにおびえ、
緊迫した長い長い時間を送った時もあったとは。

歴史に惹かれるのはそこに「人」があるから。
場所を越えて、今この時の横軸へ。
時間を越えて、今この場の縦軸へ。
縦横無尽にもっともっと「人」に会いに行く。

では良い一日、良い時代を!

飛行機から大宰府政庁と大野城

 

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ママチ遺跡の土面
Japan

祈りの土面ーママチ遺跡

北海道の地震により亡くなられた方々、
ご家族様へお悔やみを申し上げます。
被災された方々へお見舞いを申し上げますとともに、
一刻も早い復旧をお祈りしております。

今週、私どものツアーで、
モヨロ貝塚から垣ノ島遺跡まで
北海道を横断したばかり。
函館を発ったその夜中に地震が起きました。
現地へ気持ちを寄せ、
北海道全域の、北海道民皆さまの、
安寧と日常の復旧を祈るばかりです。

大自然を怖れ、感謝し、工夫を重ね、
継続を大事に共生した生き方を、
このたびも深く刻ませて頂きました。

写真の土面はキウスの近く、
千歳市内のママチ遺跡出土のもの。
千歳市埋蔵文化財センターで拝見してきました。

祈りの土面です。

以下、土面の解説より
—————————-
縄文時代の人々は、
人の力が及ばない生と死、
大自然の力に対する恐れや感謝、
願いなどの気持ちをもって
生きていたと考えられます。

さまざまな出来事に対する
気持ちを表す方法として、
土面や土偶、
子供の足跡などをつけた土版など、
粘土を用いた土製品がつくられたようです。

これらの土製品は特別な意味を持つ道具として、
いろいろな決まりの中でつくられ、
儀式の際などにも使われたと考えられます。

土製品は、
縄文時代に豊かな心の文化があったことを示す
大切な資料です。
—————————-

 

ママチ遺跡土面の解説

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福岡タワーと秋の空
Japan 雑記

お盆も送り火。空は秋の気配

 

送り火。
お盆も終わり。

空はもう秋の気配。

来年4月からの企画を創り始める季節。
皆さまの、
「面白かった~」の声とはつらつとした笑顔を栄養に、生きています!

 

福岡タワーと秋の空(福岡市総合図書館の前から)

正面からの福岡タワー

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満開の桜 一酌散千愁
雑記

一酌散千愁

見事な満開の桜が街を覆った数日後、
花吹雪の中を、大好きな先輩が逝ってしまった。

病気だなんて知らなかった。
いつだってあの笑顔に会えるなど、
なんの約束でもない思い込みなのだと、
当たり前のことに呆然とする。

葬送の式で伺ったお話に、
改めて先輩に会えたような気がしている。

 

「願わくは花の下にて春死なむ
その如月の望月の頃」

自宅を建てたときに庭に桜の木を植えた。
桜を植えたかった先輩は、
庭に桜なんてあまり植えないんだけどね、
といいながら西行法師のこの歌を口にしたそうだ。

そして本当に如月望月の2日後、桜の下で旅立った。

 

はっと思い出したことがある。

「一酌散千愁」

酒蔵開きにおじゃましたときのことだ。
飲み比べを楽しんでいる私たちに、
これ飲んでみて、と注いでくれたお酒。
「わあ、美味しい~!」

嬉しそうに満面の笑みを返す先輩に
「これはどのお酒ですか?」と尋ねると、
ひと言ずつゆっくりと、
「いち しゃく さん せん しゅう」。

「い… しゅう… え?」
わからないと顔に書いてあるのを笑いながら、
「杜甫の詩の一節でね、漢字でこう書くの。
一、酌、散、千、愁。
お酒を酌み交わせばいやなことも全部きえていく、
っていう意味なんだ。」

「僕はね、杜甫が大好きでね。
この古酒は、杜甫の詩から名前をいただいたの」

素敵なネーミングだなあ、
春のうららかな田園風景の中で酌み交わすなんて、
先輩らしいなあ、と、
教養人の先輩をさらにまぶしく見上げたものだ。

 

でも、そのことは記憶の奥にしまったままだった。
お別れの式で、皆さんが語る想い出から、
文化や伝統を体現する酒蔵として、
心を砕き汗をかき、
さまざまな行動をしていらしたと、
初めて知ることが多かった。

たくさんの点が、つながった気がする。

やさしいやさしい方だった。
笑顔しか見たことないと誰もが言っていた。
いつも、柔らかな笑顔で、
いつも、ゆったりした語り口で、
いつも、大丈夫大丈夫と肩をたたいてくれた。

その裏で
強靭な精神が支えていたのですね。

長い闘病を人に知らせなかったこと、
まったく入院せずに通院でたたかい続けたこと、
通院しながら仕事も休まなかったこと、
必ず治ると信じていたこと、
激痛にも弱音をはかなかったこと。

何がその強さを支えていたのだろう。

お酒をのみながら幸せな時間を過ごしてほしい、
満開の花の中で、
のどかな田園で、
うれしいとき、つらいとき、かなしいとき。

お酒とともに、
大丈夫だよという笑顔とともに、
私たちを励ましてくれていた。

文化や伝統行事を、
一所懸命に伝えようとしたのも、
きっと、それが私たちを支えると信じていたから。
そしてそのことが、
ご自身をも支えていたのだろうか。

 

やさしいだけでは
やさしくなれないのかもしれない。

強くなければ。
志がなければ。
行動がなければ。

お別れの式は、
旅立つ前に大事なことを教えようとしてくれた、
そんな時間だったように思われてならない。

 

花を手向けたそのお顔は、
微笑んでいるようにみえた。
死後にお顔がふっくらしてきたせい?
いえ、そんなことなど超越して、
「先輩、最後まで笑ってたよね」、
「笑ってさよならしていたね」、
と私たちに言わせてくれる、
その生き方に心からの敬意を表します。

いや、先輩は、
きっと本当に笑ってたんだ。
もうすぐあちらの世界で、
桜の下でお酒を酌んで、
千の愁いを散らすんだ。

合掌

 

 

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