百済3番目にして滅亡の都。
白馬江に面する絶壁から
官女たちが次々と身を投げ、
チマチョゴリの花がひらひら舞い落ちたよう、
というのが「落花岩」のいわれ。
伝承としても、
扶蘇山城を歩くと王朝滅亡が胸に迫ります。
さて、その扶余では、
扶蘇山城も含め都全体をぐるりと防衛した
「羅城」のことに注目です。
都市全体を大きく囲んで
山の稜線にぐるりと巡っていた土塁も、
あの百済金銅大香炉が現れた「陵寺跡」も、
整備が進んで見違えるようでした。
羅城といえば、
福岡の大宰府に羅城は?という件、
数年前に出てきた土塁が重要なライン上にあり、
今後も大注目。
羅城となれば日本で初。
百済の亡命貴族が
大宰府を囲む古代山城の築造を
指揮していますし、
羅城があっても不思議はない気がしますが
どうでしょう。
扶余が遠い街とは思えないゆえんです。
憶礼福留、四比福夫と名前まで記された
百済の貴族。
どんな気持ちで玄界灘を眺めつつ
唐軍の来襲に怯えながら
異国に城壁を築いたのか・・・。
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2017年
韓国、扶余
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