白馬寺にある、鴻臚寺に訪れた僧の墓

福岡の鴻臚館は有名ですが、
洛陽に「鴻臚寺」という名があったことは
地元でもあまり知られていません。

後漢時代に都・洛陽にあった
九寺の一つが、鴻臚寺。

鴻臚館とは、鴻臚寺からではないかと。

洛陽の九寺は、衛尉寺、司農寺など、
行政を担った役所です。

霞ヶ関に省庁が並び立っているイメージでしょうか。

鴻臚寺はその中で、
外来の賓客の対応やもてなしが役割でした。

外務省といったところでしょうか。

なぜ寺?と思うわけですが、
この当時はまだ仏教が伝来しておらず、
「寺」は役所の意味でした。

明帝が仏教を招聘し、
白馬に載せた経典とともに(伝承)、
二人の僧を滞在させ、もてなしたのが、
鴻臚寺。

のちに僧たちは鴻臚寺から白馬寺に移り、
(居場所を代えたのか、名前が変わったのか・・)
白馬寺が仏教伝来の地、
最古の仏教寺院として今に続いています。

ですから鴻臚寺は、
遣隋使も遣唐使も
訪れ、滞在し、都の文化を吸収したところ。

博多湾に面して建てられた
海外使節をもてなす「鴻臚館」とは、
名前にそういう縁があります。

鴻臚館から大宰府政庁までの
どーんと真一文字に続く官道を、
博多湾から上陸してきた使節団は
行進していったわけです。

隋・唐の都を思わす「鴻臚館」という名、
異国の衣装の行列、
私たちの祖先がこの地で目にしたとしたら、
どんなに気持ちが高揚したことだろうと
想像してしまいます。

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