遺跡好きが作る現地へ行きたい人のためのブログ

189件の結果中169〜180件を表示中
五郎山古墳の装飾
Japan

五郎山古墳。ポップでプリミティブ。古代人の美意識と子供たちは交信する

北欧のクリエイターのポップな絵。
そう言われても違和感のない魅力的なこの絵は、古代人が顔料から色を採り、岩に直接描いたものです。

プリミティブな魅力があるこの絵が発信する、目に見えない何かは、私たち大人よりも子供のほうがわかるのでしょう。小学生、中学生が、好きな絵の前でじっと見入っている姿を後ろから見ていると、何やら交信を始めているように思えます。幼い子供が動物や鳥と気持ちを通わせている、あの姿と同じ。

観世音寺で、居並ぶ丈六仏を前にした時。
金隈遺跡で、甕棺に眠る弥生の人骨を前にした時。
子供は本物から何かを感じ取る能力があるのだなと感心しましたが、ここの絵の前でも同じことを感じさせてくれます。

ここ五郎山古墳は、墓に眠る主への祈りを込めた様々な絵が奥壁に描かれた装飾古墳です。

馬にまたがった人。
祈りをささげる人。
弓を引く人。
魂を運ぶ船。

その表現は、手が巨大に描かれたり、背中に背負う靭が人物の何倍もの大きさに描かれたりと、幼児のお絵かきと通じる力強さがあり、当時の職人さんの心情が伝わってきます。

五郎山古墳がある丘陵の麓に、古墳を解説するための古墳館があり、ここで驚くような冒険ができます。一つ一つの石や壁画まで、すべてが実物大、すべてが同じ造りの石室レプリカがあるのです。

羨道(=奥へ続く通路にあたる)も実物そのままの大きさですので、かがんで、あるいは這って、奥の玄室へ進みます。

ここに、秘密が!

どなたでも見学できるようにと、この狭い羨道が「開けごま」でウィーンと、石の壁が左右に開く仕掛けとなっているのです。腰が悪くても膝が痛くても車いすでも大丈夫。全国唯一、こんなものを創ってしまった五郎山古墳館、素晴らしいです。

裏手の本物の古墳では、ガラス越しに本物の石室を見学できます。ただし事前申請が必要。

JRの原田(はるだ)駅から徒歩圏の、住宅街の中。こんな場所で、こんな体験ができるなんて!
ここは「筑前」「筑後」「肥前」の三国国境だった場所。古くからこの地の産土神である筑紫神社は、歴史に様々に登場します。やはり古代から交通の要衝であり、有力豪族が抑えたい良い立地なのです。

九州の装飾古墳をくまなく研究され誰より詳しいお一人で、この「開けゴマ」を発案された石山勲氏には、毎年1回、九州の装飾古墳をめぐるシリーズをご案内いただいています。マグライト必携!

五郎山古墳と古墳館は大規模施設ではありませんが、行きやすく分かりやすく、楽しさも、重要な遺跡ということも、すべてがそろった場所です。装飾古墳にご興味ある方、初心者の方や親子でお出かけの方が訪れるにも、大変おすすめです。

 


装飾古墳王国・九州の、
五郎山古墳/五郎山古墳館(福岡県筑紫野市)

*古墳館の石室レプリカは開館中いつでも体験可能
*実物の古墳見学は事前に館へ申請して開錠いただく必要があります。詳細は館へご確認ください

 

【写真コーナー】——————–

玄室奥壁の絵。館内の実物大の石室レプリカへ入ってゆけます。石室内の石の組み方、天井の高さなど、その場に立たなければわからないことが、たくさんたくさん。船は準構造船だとか、馬じゃなくて猪だとか、祈りは巫女か?とか、絵を前に話題がつきません。持ち送りの石の積み方も上下部分の違いなど解説を聞いて眺めると、古代の知恵に唸ります。
人物 馬 動物 船 靱

レプリカ石室の入り口。カンテラを手に羨道をくぐってゆきます
五郎山古墳館には実物大レプリカ

ギリギリしゃがんで歩ける高さ。膝をついて進むもよし。
羨道を進んで玄室へ

大人も這って進む

玄室に着いた。本当に真っ暗
たどり着く玄室は真っ暗

石室は闇。当たり前と言えば当たり前だなと。
手にしたカンテラの灯だけ

照らすと浮かび上がる絵。おお、と感動の声
ライトで壁面の絵を

玄室内の電気をつけていただきました

今くぐってきた羨道を、入り口側から見たところ。「開けごま」で羨道部分が左右に開いたのがわかりますか? 車いすでも入ってゆけます
羨道部分は電動で開くので車いすでも入れる

石室内は天井が高くかなり広いのがわかります
玄室を見学する人たち

館内展示より解説パネル。
壁画をCGで復元したものが並んでいます

騎馬人物の解説パネル

人物の解説パネル

 

盾を持つ騎馬人物の解説パネル

 

靱の解説パネル

槍か矢が刺さった猪の解説パネル

 

魂を運ぶ船の解説パネル

 

館でしっかり予習して、裏手の丘の上にある本物の古墳へ。公園になっています
裏の丘を登り古墳へ

坂道でちょっとはあはあしますね。「五郎山古墳」の道しるべ
「五郎山古墳」の道しるべ

円墳にたどりつきました
五郎山古墳の全景

丘にあがると展望が開け、結構高さがあるとわかります。三国国境である交通の要衝を一望できる、古代豪族にとっていい場所だったのがわかります
古墳のある高台は平野を一望

予習してきたとおり、壁画をしっかり思い出して、
五郎山古墳の解説板

古墳の解説がしっかりあります
五郎山古墳の模型と解説

周溝もありました。
五郎山古墳平面図

目の前のこの円墳を、

断面で見れる。わかりやすーい!の声。
五郎山古墳の石室断面

館内のレプリカで入っていったのはこの石室。羨道を、つきあたりの玄室まで這って行きました。この羨道部分が「開けごま」で開くしくみでした。
石室構造と見学室内がわかりやすい

そして今から、本物を見学します。もちろん担当の方に従い、ガラス越しに。どきどき。
五郎山古墳墳丘断面図

内部は写真はありません。ぜひ足を運んで実際にご覧ください。

実物を前にすると解説も頭にはいります
五郎山古墳の形

五郎山古墳の築造方法

 

以下は館内の解説パネル。
発見当時の五郎山古墳。土地の所有者により発見された。
五郎山古墳の発見

発見当時の小林行雄先生の貴重な記録。
第1回調査と史跡指定

トレンチ調査の様子。
調査風景の写真

石室のかたち。
石室のかたち

以下3点は筑紫野市より。
五郎山古墳とふもとの五郎山古墳館、空撮。
五郎山古墳の空撮

館内の展示。ここに石室レプリカがあります。
五郎山古墳館の館内展示

五郎山古墳館の石室レプリカ内部。
五郎山古墳の石室内写真

 

▼公式サイトはこちら

五郎山古墳
五郎山古墳館

▼地図はこちら

「五郎山古墳」がある丘の麓に「五郎山古墳展示館」があります。古墳館で詳しい展示解説で学び実物大の石室模型を体験してから古墳現地へ行くとより楽しめます。緩い坂道を登ること5分ほど。石室は鍵がかかっており内部を見ることはできません。(春と秋の福岡県装飾古墳公開イベントの折に見学可能かは公式サイトで都度ご確認ください)

= よろしければシェアして下さいね =
線路一本が川を渡る
Japan

くま川鉄道で免田式土器のふるさとへ。なんて美しい土地なんだろう

大村横穴群を観たあとは、とっても楽しいレトロ旅。ゆっくりと列車で走り、車窓から風景を楽しみ、風や光を感じてゆく。現地が何かを語ってくれますよね。景色に溶け込んでゆく感覚がありますよね。

1989(平成元)年に人吉駅から東側、湯前駅までが、JR九州から第3セクター「くま川鉄道」に移管されました。それで同じ駅の中に、JR九州の「人吉駅」とくま川鉄道の「人吉温泉駅」が混在します。もともとは1つの駅。

大村横穴群は「人吉駅」「人吉温泉駅」と隣接しています。駅の構内にもプラットフォームにも大村横穴群の案内板があり、くま川鉄道に乗ろうとプラットホームに立つと目の前に横穴が広がっているという驚愕の立地、そして贅沢さ。

ここを出発して人吉盆地を東西に走る「くま川鉄道 湯前線」は、心洗われる絶景を楽しめます。観光列車「田園シンフォニー」は機会があればぜひ体験してほしい列車。高校の下校時間と重なると満員になる、というのも微笑ましいです。

人吉名物の駅弁を買って乗り込みましょう。駅前に店舗あり。

ちなみに「JR人吉駅」側には、全国でも数えるほどになった駅弁の立ち売りで菖蒲さんが今も活躍中。立ち売り一筋50年!
こちらは→ 2019年の『サライ』(小学館)の記事です。

くま川鉄道の沿線では、橋梁やアーチ橋や駅待合所やプラットホームなど、全19ヶ所が登録有形文化財に指定されています。こんな路線を旅できるのはもはや贅沢。にわか”乗りテツ”になってしまうこと請け合いです!

人吉・球磨エリアは球磨焼酎のふるさと。今も小さな蔵が驚くほどたくさん現役です。蔵ごとに少量ずつ、本当に個性的な焼酎を醸します。広大な盆地ときれいな水があればこそ。私たちは、そこで栄えた古代文化を求めて、あさぎり町を目指します。

狗奴国の比定地のひとつともされ、あの優美な免田式土器のふるさとです。鎏金獣帯鏡(りゅうきんじゅうたいきょう)や方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)の破鏡を出土した土地です。すごい。

句奴国や免田式土器はまた別の機会にレポートをと思います。

 

【写真コーナー】——————–

列車の窓から大村横穴群を望む。窓に「春」マーク

「人吉温泉駅」プラットホームにも横穴群の案内板が。ここから遠目に横穴群が見学できるとはすばらしい
プラットホームからの大村横穴群の眺め

プラットフォームにある案内板

JR九州とくま川鉄道で駅舎共用。JR九州では人吉~八代間でSL乗車もできます(特定日)。大村横穴群がすべての案内に載っています。駅と一体ですね
人吉駅の構内案内看板

くま川鉄道「田園シンフォニー」春バージョン
田園シンフォニー春

DEN-EN SYMPHONY

 

「田園シンフォニー」冬バージョン
田園シンフォニー冬

田園シンフォニー冬

 

観光列車「田園シンフォニー」。季節ごとに列車が変わります。春・夏・秋・冬と、5つ目がある!「白秋」ですと!深い。渋い!
田園シンフォニーパネルには5種類の列車

田園シンフォニーは春夏秋冬と白秋

 

沿線には国の登録有形文化財が19か所も
くま川鉄道有形文化財

人吉駅の正面。名城・人吉城を模した歴史を感じさせる建物です。鎌倉時代に始まる相良氏が治めた数々の歴史をたたえた街です
JR人吉駅

待合室もレトロで良い雰囲気
JR人吉駅のレトロな構内

「人吉温泉」駅。ローカル線の旅へ
くま川鉄道 人吉温泉駅のホーム

JR人吉駅ホームを上から眺める

 

人吉駅前、マンホールのフタは球磨川下り
人吉市マンホールのふた 急流下り

球磨地方の郷土玩具「きじ馬」も
球磨地方の郷土玩具「きじ馬」

駅弁立ち売りの菖蒲さんが全国的にも有名なJR人吉駅。栗めし、鮎ずし、と魅惑的。駅前の「やまぐち」さんで購入できます
「汽車弁当」人吉駅弁

栗めし 鮎ずし 栗おこわ

 

名物「栗めし」。ワクワク
栗めし弁当の包み

栗をあけたら、どどーんと栗。大変美味しゅうございました
栗めし弁当の栗型容器

栗めし弁当 大きな栗がごろごろ

 

田園シンフォニー、列車にはいろいろなコーナーがあり楽しい。展示品も楽しめます
田園シンフォニー素敵な車内

おしゃべりしたり、外を眺めたり
田園シンフォニーにはカウンター席も

木目とファブリックの内装

おしゃれなランプと、大村横穴群
テーブルにはランプ

 

列車先頭に立てば、線路も、鉄橋も、広大な景色も、わがものに!
最前部に立つ

おかどめ幸福駅まで行って、あさぎりをめぐります。その隣駅は、名前も「東免田」!
列車内の路線図駅名

 

至福の列車たび
雄大な景色の中を単線が走る

線路一本が川を渡る

駅舎や鉄橋など有形文化財がたくさん

到着。無人駅です
無人駅の「おかどめ幸福駅」

おかどめ幸福駅。注連縄もかかり、ありがたや。幸福になれそうです
おかどめ幸福駅

おかどめ幸福駅の駅舎

才園(さいぞん)古墳へ行ったり…、
才園古墳

本目(もとめ)遺跡へ行ったり…、
本目遺跡の解説

鎏金獣帯鏡(りゅうきんじゅうたいきょう)。すごすぎる。
資料館の展示資料より
鎏金獣帯鏡の解説

免田式土器。繊細な姿。球磨川流域の古代人はこんなに美的センスあふれて。
資料館展示より
免田式土器(あさぎり町展示)

隼人、熊襲、のお話をたくさんお聴きできました。
球磨川流域に華開いた文化の繊細かつ優美なこと。熊襲=野蛮などというのは、ほんとにとんでもない誤解です
熊襲隼人の関係資料

広大な盆地、どこまでも平らな良質の土地。遠くの山並みはぐるりと美しく、球磨川の水も、食べ物も豊か。ここに王国が栄えたのは、現地に立てば一瞬でわかる。今も豊かな恵みで、球磨焼酎が創られ続けているわけも。
あさぎり町は広大な盆地

 

= よろしければシェアして下さいね =
大村横穴7号墓 馬と馬鐸
Japan

大村横穴群。岩肌の装飾を双眼鏡で探していると時間を忘れて無の境地

色鮮やかばかりが装飾じゃない。

「線刻」の面白さにもノックアウトされます。「線刻」とは言葉のとおり、横穴墓の入り口や石室内部の壁や石棺などを、彫刻で飾ったものです。色で絵を描くのでなく、彫刻芸術を刻むのです。

肥後の装飾古墳には線刻も多いのが魅力です。目を凝らして岩面に浮き上がる絵を探す楽しみは、なぜか深みに引きずり込まれる魔力があるように感じます。

気づくと、見学のメンバーが一丸となって、
双眼鏡を手に、
あるいはマグライトを手に、
半分はいずるようにしながら、

「あ、わかった!」
「どれが!?」
「あのヘコミの右斜め上」
「あ、あれね!」

と、同じものをみているやら実はわからないうちにも、一体感が醸し出されてきます。‥‥たのしい。

大村横穴群には、武具や幾何学文様が描かれています。武人の大切な道具だった、靭(ゆき)・鞆(とも)・矢・刀子のほか、親子に見える馬や馬鐸も見えます。馬がいかに大切な存在だったかが伝わります。

仔馬の姿がかわいい。1400年前の人が、この絵を刻んだのです。どんな気持ちでこのかわいい姿を残したのでしょう。

横穴墓群がずらりと崖に並ぶこうした場所は、人里離れた山奥だろうとイメージする方もいらっしゃるかもしれません。そんなことはなく、古代のお宝は意外と身近な場所に在ります。

この大村横穴群は、JR人吉駅と道を挟んだ向かい側。プラットフォームに立つと目の前に広がっていますし、ホームに解説まであります。

人吉の盆地の美しさ。
JRの蒸気機関車や
くま川鉄道が走るのどかな風景。
豊かさの源、球磨川の急流や渓谷。

古代に文化が栄えるのはこういう場所なのだと、体で理解できます。くま川鉄道の鉄橋は文化財の連続で、かわいい列車「田園シンフォニー」も駅弁も特筆ものです!

人はいつの時代も、豊かな良い場所に住みたいのです。幾重にも暮らしを重ね続けているのですね。だから遺跡は、誰にとってもすぐ近くに、先人の暮らしの跡として在るはず、です。

 


装飾古墳王国・九州の、
大村横穴群(熊本県人吉市)

大正時代に国史跡(=史跡の重要文化財)に指定され、早くから注目されていた遺跡です。6~7世紀の古墳、800mにわたり27基の横穴が連なります。

*現地では立ち入り禁止エリアもあり、足元もあぶない箇所があります。くれぐれも無理は禁物、ご注意ください

 

【写真コーナー】——————–

大村横穴群全景。道路を挟んでこちら側はJRとくまがわ鉄道の人吉駅
大村横穴群の全景

現地の案内板を見ながら、図柄を探す楽しみ。これは11号
大村11号横穴墓の解説

武人が身に着けた大切なものばかり。靭(ゆぎ)=矢筒、鞆(とも)=弓を射る時に手の甲を保護、弓、刀子

11号横穴墓。解説図のとおり絵がみえる
大村11号横穴墓

11号横穴墓。入口左側の靭(ゆき)や円文
11号横穴の靱と円文

11号横穴墓。入口右側の靭(ゆき)
入口右壁の靱 11号横穴墓

7号横穴墓の解説。三角文で入口を飾り、左手には馬や馬鐸
大村7号横穴墓の解説

大村7号横穴墓の装飾図

 

7号横穴墓。三角文がみえる。左手の馬はこの角度ではみえない
大村7号横穴墓の入口

7号横穴墓。入口を飾る三角文と右手の靭(ゆき)・弓
大村7号横穴墓 三角文と靱

7号横穴墓。角度を変えて右方角からみると馬が見える!
大村7号横穴墓の側面の装飾

7号横穴墓。入口左手のアップ。上に馬が3頭、下に馬が2頭。小さな仔馬も目視できた!その左に馬鐸が。
立ち入れないのでかなり遠くからかなり小さな馬をみました。これを1400年前に刻んでいる姿を想像する。たのしい。馬は大事な家族だったんですよね。
馬と馬鐸

崖面に横穴が続く。丘陵を散策すると別のポイントにも横穴が
大村横穴墓群の全景

大村古墳群はJR人吉駅&くま川鉄道人吉温泉駅の裏手に見えている低い丘陵です。人吉駅は国史跡「人吉城」を模したレトロな駅舎。広場には天守閣のからくり時計があります。駅の正面から駅舎内をわたって向こうの横穴群へ行ってみます。
人吉駅

なつかしい風景を見ながら線路を越える
くま川鉄道の人吉温泉駅

駅舎の通路にもこんな案内板。韓国語もありますね

構内にも大村横穴群の解説がある
プラットホームに設置された大村横穴群の解説

駅の裏側に見えてきました。ワクワク
線路を越える通路

降りるとそこは国史跡・大村横穴群。本当に駅の真ん前!
通路を降りると目の前に横穴群

双眼鏡は必携です。同行の方に貸して頂き感謝。仔馬が手に取るように見えました。遺跡見学では近づけないことも多いので、七つ道具のひとつに双眼鏡はぜひ。解説も充実していて、遠い壁面の装飾をさがすのにとてもわかりやすく親切です。

 

 

 

= よろしければシェアして下さいね =
石貫穴観音横穴
Japan

石貫穴観音・ナギノ横穴墓群。装飾は地中深くとは限らないのだ

死者が装飾品を身につけるように、墓も装飾をまといます。色鮮やかに壁面が彩られたり、石棺の屋根や石室に絵や文様が刻まれたり。

それは閉ざされた闇の中で主の眠りとともにある、というイメージがありますが、そうでないものもあります。装飾は、地中に閉ざされた石室の中だけではありません。

この横穴墓の前に立つと、今まで見たことない、

異形の迫力と、
ダイナミックな造形美と、
岩の堂々とした質感に、
ガツンとショックを受けます。

吠えるような“パワー”を感じます。

石貫穴観音横穴と石貫ナギノ横穴は、同じ丘陵地帯の離れた場所にあり、前者は5基、後者は48基の横穴が掘られています(現時点の数)。

墓を創った人々は、首長が眠るその入り口を、幾層にも岩を刻み華やかな彫刻芸術として飾りました。

九州には横穴墓が多いのですが、こんなに凝った装飾は他に類をみません。

さらに驚くのは、

1400年も風雨や日光にさらされて、今もなお、

当時の「赤」

が岩肌にはっきり残り眼福を与えてくれること。1400年です。信じられないことです。

実測図や先生の解説を通してじーっと見ていると、消えかけている部分も目に映って、ここに赤い絵を描きつけた当時の職人さんが乗り移ってくるようです。ここに立って、岩肌をにらみ、赤い顔料を手に…。

この絵が、我が長(オサ)の墓の守護となり、悪霊を退散させるために。あるいは長の魂がでてこないよう封じ込めるために。

大事な役目を背負って、一心に岩に向かっていたのだろうなと。

石貫穴観音横穴、石貫ナギノ横穴は、内部の造りも独創的で豪華。決して広くない穴の奥に、遺体を覆う石屋形がしつらえてあったり、脇の屍床も彫刻された石板に囲まれていたり。石屋形にはなんと丸瓦まで彫刻されているし、家の形の屋根もある。そこに眠る人にあわせ、職人さんが腕を振るったのだろうな。

そして、何より胸に迫ること。
今なお集落の方たちの信仰の対象で、観音さまを拝み花が飾られ掃除が行き届いている様子に、ご先祖様の墓として地域の人に大切に守られているのが伝わってくるのです。こういう場所は、立てばわかりますが、地勢的にも本当にいい場所で、何か温かなものが感じられるのですよね。

九州には各地に横穴群が多くありますが、それぞれに地域の独自性があることが、楽しいし、当時の背景を想像させてくれます。

思えば、葬送儀礼というのは、自分たちのアイデンティティーを表し、伝える、大事な事柄のひとつ。今を生きている私たちもそうであるように、地域性があるのは当たり前かもしれません。

お墓って大切なものが凝縮されている。
遺跡の前で改めてそんなことを感じています。

 


装飾古墳王国・九州の、
石貫穴観音横穴墓・石貫ナギノ横穴群(熊本県玉名市)

*石貫穴観音横穴群・石貫ナギノ横穴群は、いずれも国指定史跡。大正時代に横穴・装飾古墳として第1期の指定をうけ、存在を広く知られることになった、記念碑的な史跡です。
*現地では立ち入り禁止エリアもあり、足元もあぶない箇所があります。くれぐれも無理は禁物、ご注意ください
*実測図は、熊本県教育委員会『熊本県装飾古墳総合調査報告書』1984 からお借りしました

 

【写真コーナー】—————-

石貫穴観音横穴。三重彫刻に赤。豪華!
石貫穴観音横穴2号墳の正面

肉眼でも赤い円文がはっきりと
石貫穴観音横穴2号墳入口の赤い顔料

入り口をぐるりと装飾が
入口に赤でぐるりと装飾

案内板で全体図と文様をよーく見て、いざ現場
石貫穴観音横穴の案内板

今も集落の観音様。階段を登ると、
横穴へ登る階段

奥の観音さまに手を合わせ、

正面奥のこんな横穴群へ
横穴が並ぶ様子

内部。大事な信仰の場所
横穴内部には3体の屍床

正面と両脇、3つの屍床(ししょう)部。瓦付きの屋根まで!
石屋形の屋根に瓦も

両脇の屍床(ししょう)、船を刻んだように見えるのは気のせい?

こんな風に張り付いて見学。くれぐれも落下にご注意を
横穴が並ぶ崖面

石貫穴観音へのアプローチ。あの丘の斜面に横穴が並ぶ
石貫穴観音横穴群の並ぶ丘の遠景

周囲はのどかで美しい場所。有明海へ出る交通の要衝に位置する
周囲の風景

400m離れた場所に石貫ナギノ横穴群
石貫ナギノ横穴群の案内板

250mも累々と。現在48基。まだ出てくるかも
石貫ナギノ横穴群が250mにわたり並ぶ様子

赤い装飾がくっきりと
石貫ナギノ横穴の中でも立派な装飾

「お家(おうち)」と表現したくなる。周囲が崩落しており、横穴最奥の屍床(ししょう)だったところが露出している。ここで眠っていたのですね。
横穴が崩れ奥壁の石屋形がむき出し

 

以下の実測図、原本はすべて、
熊本県教育委員会『熊本県装飾古墳総合調査報告書』より。
現地を見るのにとても分かりやすいです

石貫穴観音1号横穴墓実測図

 

 

石貫穴観音2号横穴墓実測図

 

石貫ナギノ6号横穴墓実測図

 

 

石貫ナギノ8号横穴墓実測図

 

 

石貫ナギノ9号横穴墓実測図

 

 

 

 

 

 

= よろしければシェアして下さいね =
チブサン古墳
Japan

チブサン古墳は熊本が誇る装飾古墳。本物と対面できる幸せ。オーラが違う

日本に「古墳」はどれぐらいあるのでしょう?
およそ20万基とのこと。
うち装飾古墳は660基です。
つまり、全体の0.3%、
1,000に3つの希少なものです。

九州には日本の装飾古墳の6割があり、
熊本県の菊池川流域と、
福岡県の遠賀川流域と、
筑後川流域に集中しています。
中でも熊本県は200基弱と、ひときわ多い地域です。
200というと全国660基の約3分の1もが熊本県に!?

その中で特に、大変大変有名なのが、チブサン古墳。日本を代表する装飾古墳です。この顔は見たことある、という方も多いのではないでしょうか。

絵が意味する事は未だわかりません。

乳房なのか目なのか。
宇宙人とUFOなのか。
墓の主と銅鏡なのか。

いやいや、
必死に考える私たちを見て古代人は、
宇宙はもっと深淵なのさと、
笑っているかもしれません。
想像はどこまでも広げてみたいですね。

赤・黒・白の絵は華やか、かつユーモラス。
乳房に見えることから「チブサン」と言われるようになったとのこと。お祈りすると乳が出る乳のカミサマで、「乳房さん」がいつしか「チブサン」に。甘酒を供える信仰が近年まで続いていたという温かいエピソードもとても微笑ましい。

この絵の本物とご対面できます。申請して鍵を開けて頂き、古墳後円部の石室に続く細い階段を上がると目の前に現れるのは・・・、あまりにすごくて平常心を失いそうです。

現地にはガイダンスコーナーがあり石屋形のレプリカが展示しています。解説も図解とともにとても丁寧で、よく理解できます。広い公園内、チブサン古墳のすぐ隣には「オブサン古墳」。こちらは石室が開口しており見学できます。
(追記2018年10月:地震被害で復旧工事中。終了後に石室公開を再開とのこと)

山鹿一帯には、様々な装飾古墳があり、いくら見ても飽きることがありません。チブサン古墳の近くの熊本県立装飾古墳館は必見。

古墳館は全国唯一の装飾古墳専門館。
さすが装飾古墳王国です。

館には、図録や本でよく見る有名な装飾古墳のレプリカがずらりと並んでいて、まるでテーマパークのように楽しめます。イラストではありません。実物大のレプリカがずらりと。

保護のために現地は一切見学できないという装飾古墳がほとんどなので、装飾古墳館の実物大レプリカは貴重ですし、こんなに並ぶとお好きな方なら興奮ものです。


装飾古墳王国・九州の、
チブサン古墳(熊本県山鹿市)

*石室内本物の写真は、山鹿市HP・熊本県立装飾古墳館ガイドブックより。その他は筆者
*山鹿市博物館へ申請して鍵を開けていただきます。決められた時間やルールをよくご確認ください

 

【写真コーナー】—————-

チブサン古墳の玄室。石屋形という囲いは肥後の特徴
チブサン古墳 石屋形の絵

乳房?両の目玉?それとも
チブサン古墳 乳房?鳥の目?

妄想を刺激してくれる図
墓の主?宇宙?

チブサン古墳は6世紀の前方後円墳
チブサン古墳は前方後円墳

扉の鍵を開けて頂き、細い階段をいざ石室へ
石室への入口

古墳公園内のガイダンスコーナー
チブサン古墳ガイダンスコーナー

石人(せきじん)が被葬者を守っていました。埴輪でなく石人が古墳に立つのも地域の特徴
古墳に立っていた石人

ガイダンスコーナーの石屋形レプリカ
チブサン古墳レプリカ

真っ赤に塗りこめられて。あれは主人?宇宙人?
ガイダンスコーナーで絵がよくわかる

解説の図面をみると形状をよく理解できる。しっかりチェックして、いざ石室へ
ガイダンスコーナーの詳しい解説

隣にはオブサン古墳
(2016年の熊本地震による被害でオブサン古墳の石室は現在修復中で入れません。修復完了した折は公開され見学可能になるそうです)
オブサン古墳

オブサン古墳石室の最奥、石屋形
オブサン古墳の石室

前室の、奥に向かって右側の屍床(下の図面2番)
オブサン古墳の石屋形

オブサン古墳の解説。断面図をみるとひとつの石の意味もちゃんと理解できる。
オブサン古墳解説

オブサン古墳の断面図

 

熊本県立装飾古墳館のガイドブック。日本で唯一の装飾古墳に特化した博物館には各地の石室レプリカが並び圧倒されます。個性的な装飾絵画の数々をぜひ。ランチには古墳館の地産地消レストランで素朴な「だご汁定食」が最高です!
http://www.kofunkan.pref.kumamoto.jp/
熊本県立装飾古墳館ガイドブック

= よろしければシェアして下さいね =
竹原古墳の装飾壁画
Japan

竹原古墳の壁画は高句麗を思わせる。四神や馬や火を吐く龍

装飾古墳ファンには絶対はずせない古墳です。飛鳥で高松塚やキトラを観たならば、ここ竹原も観なくては!

竹原古墳の装飾は、ひと目で海の向こうの文化とわかる独特の世界です。北朝鮮の世界遺産・高句麗壁画を彷彿とさせるものです。

竹原古墳(国史跡)は、王塚古墳(国特別史跡)と近い所にあります。破格にすごい2つの装飾古墳が近くにあるとは、このエリアの古代は一体どんな場所だったのでしょうか。

石室の装飾は幾何学文様でなく絵画です。東西南北の四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)、貴人の日よけに用いる翳(さしば)、馬をひく人物の膨らんだズボンやとがった靴、不思議な姿の龍。

誰がそれを見たのか、
誰がそれを知っていたのか、
誰がそれらをここに描いたのか…。

口から火を吐き体に赤い斑点をまとう龍は、四神の青龍とも、かの地の龍媒伝説とも、諸説あります。

高句麗(紀元前1世紀~7世紀)は、現在の中国東北部から北朝鮮、韓国の北部までの広大な勢力を誇りました。建国の王はドラマが大流行した「朱蒙(チュモン)」。九州には高句麗の匂いがする遺跡が数多くありますが、ここ竹原古墳の絵は最たるもののひとつです。

高句麗が残した装飾壁画は世界文化遺産です。遷都した高句麗3つの都、現在の中国の桓仁(かんじん)・集安(しゅうあん)と北朝鮮の平壌近郊に集中しています。王族の絵や女子群像や四神図や狩りの様子など、様々な見事な絵は、古代史好きなら誰もが一度は観たいと憧れるもの。

それらとあまりに似ている竹原古墳の絵。

そのことが何を意味しているのでしょうか。

九州の豪族と行き来があったのか、
情報が伝わってきたのか、
人が渡来してきたのか。

川や海や船や人というピースを紡ぐと様々に想像が膨らみます。

古代史ファンに有名なこの竹原古墳は、なんと、いつでも本物を見学できるという希少な装飾古墳です。ガラス越しにこの絵と向きあってみてください。千数百年を経て放ち続ける、底知れぬオーラを感じるはずです。双眼鏡をぜひご持参のほど。


装飾古墳王国・九州の、
竹原(たけはら)古墳。(福岡県宮若市)

*現地事務所へ申請して鍵を開けていただきます。時間やルールをよくご確認ください
*装飾古墳の環境管理(湿度や光)は、劣化をさけて後代へ引き継ぐため。現地では許された範囲で見学を。
*壁画写真は、竹原古墳公式パンフレット(宮若市教育委員会)より

 

【写真コーナー】—————-

奥壁の神秘的な絵は今も驚くほど鮮やか。大陸的な人物、騎馬、船、さしば。
高句麗の装飾古墳を思わせる竹原古墳

ガラスの小窓を通して見学できる。手前壁面、右は朱雀、左は玄武
竹原古墳の石室内部

小さな墳丘を登ると見学施設
竹原古墳へ登る道

登ったところには小さな神社
竹原古墳に建つ神社

火を吐く姿、とがった爪、赤い斑点。四神の青龍とも、龍媒伝説とも
馬は火を吐いているように見える

大きく膨らむズボンととがった靴。大陸的な服装
竹原古墳奥壁の絵

翳(さしば)。柄の長い団扇。行列で貴人にさしかける図柄が中国の古墳にはある
高句麗壁画を思わせるさしば

 

竹原古墳と北朝鮮の世界遺産・江西大墓の比較。森貞次郎氏、西谷正氏の資料より
北朝鮮「江西大墓」と「竹原古墳」の比較

 

竹原古墳の案内板
竹原古墳の案内板

 

竹原古墳パンフレット(若宮市教育委員会)
竹原古墳パンフレット

 

竹原古墳パンフレット

 

 

= よろしければシェアして下さいね =
王塚装飾古墳館の実物大石室
Japan

王塚古墳。隙間なく描かれた石室内はまるで耳なし芳一の世界。が、しかし。

石室の中、墓の主が眠るその部屋のなんとゴージャスなこと!

何色も使い、様々な文様を、神秘的で美しくてポップに、空間全てを埋め尽くして描いています。誰もが、中に入るとウヮーっと声を絞り出し口を開けて天井を仰ぎ見ます。それほど強烈なインパクト。

ところで、石室と言ってもここは、古墳に隣接している王塚装飾古墳館の、実物大の石室レプリカです。こうやって入って体感できるのは本当に楽しい。壁を眺めてああでもないこうでもないと同行の方たちと想像をたたかわせていると、時間を忘れます。

石屋形や入口の小窓や灯明台など、複雑で特徴ある構造は見どころ満載です。

「赤・黄・緑・黒・白」と5色も用いていることも、壁一面にびっしりと文様が描かれていることも、お目にかかれることではありません。

満天の星や幾何学文様。
盾や靱(ゆぎ)などの武具。
馬と人。

中でも絶対に注目していただきたいのは、
双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)です!

2本の足が生えたような双脚輪状文は肥後独特の文様で、(1)熊本、(2)八女地方(熊本県と福岡県の県境)、(3)この王塚古墳、の3ヶ所でしか見つかっていません。ここだけがぽーんと離れています。当時の勢力図や地形をいろいろ考えあわせると、豪族たちの勢力争いの中で、交流や婚姻により生き残りを図っていた姿が見えてきそうです。

古代の人々が人生を生き、闊歩した姿が、鮮やかに迫ってくるような時間です。

 


装飾古墳王国・九州の、
王塚(おうづか)古墳。(福岡県嘉穂郡桂川町)
装飾壁画のある古墳としては日本に3つだけの国特別史跡(=遺跡の国宝)の中の1つ。あと2つは、飛鳥歴史公園内のあの誰もが知る女子群像で「高松塚古墳」と四神図の「キトラ古墳」。

*館内に原寸レプリカ復元。石室写真はすべて館内、筆者
*本物の古墳石室は春と秋の公開日にガラス越しに見学可能
*館の承諾のうえ掲載しております。転載ご遠慮ください

 

【写真コーナー】—————-

館内には石室の原寸レプリカ。前室から主が眠る玄室を望む
王塚装飾古墳館の石室レプリカ

玄室入り口には馬と人。蕨手文。双脚輪状文に注目!
王塚古墳の石室 馬と蕨手文と双脚輪状文

玄室内には石棚と石屋形。まさに肥後の特徴。高い天井を埋め尽くすのは満天の星だろうか
王塚古墳石室は全体に隙間なく絵が

石屋形には主と、おそらく夫人。室内には枕が4つ、少なくとも4人が葬られている
王塚古墳の屍床

棺台の脇を固める、双脚輪状文。何を意味するのだろう
蕨手文は王塚古墳の特徴

玄室右手には靫(ゆぎ)がずらり(背中に背負う矢筒)
王塚古墳石室の靱の絵

玄室左手には楯がずらり。主は武人として活躍したのでしょう
王塚古墳石室の盾の絵

靫の上には弓もセットで
靱の上には弓も

奥から入り口を望む。小窓は肥後の特徴。表(前室)からは見えない裏側にまでもびっしりと文様。しかし・・・
玄室から入口方面を見たところ

室内で1か所だけ何も描いていない所が。職人の描き忘れか、深い意味があるのか。もしや魂の出入り口? 謎です。耳なし芳一を思い出す
玄室入口の一ヶ所だけ絵が無い

王塚装飾古墳館 外観
王塚装飾古墳館の外観

隣の丘の古墳に登ります
史跡 王塚古墳

春と秋の2回、特別公開がある予定。詳しくは自治体の情報を。公開日には全国からファンが訪れ行列ができます
王塚古墳の石室入口

 

特別史跡王塚古墳の石室と壁画

特別史跡王塚古墳の案内板

 

 

おすすめの一冊です
専門家による解説も写真も豊富。装飾古墳の内部は特別公開の時にガラス張りの奥を覗くことしかできませんので、装飾古墳はカラー写真を本で楽しむのも楽しい見学の方法ですね。
(amazon へリンクします)

改訂版 描かれた黄泉の世界 王塚古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」

 

 

 

九州国立博物館公式サイトより。装飾古墳の特設ページはとても見ごたえがあります。
http://s-kofun.kyuhaku.jp/
九州国立博物館の装飾古墳データベース

 

 

= よろしければシェアして下さいね =
雑記

北海道の地震

激しい山崩れで風景が一変している。 空からの悲惨な映像を目にしたのは、地震がおきてから12時間もたってからだっ …

ママチ遺跡の土面
Japan

祈りの土面ーママチ遺跡

北海道の地震により亡くなられた方々、
ご家族様へお悔やみを申し上げます。
被災された方々へお見舞いを申し上げますとともに、
一刻も早い復旧をお祈りしております。

今週、私どものツアーで、
モヨロ貝塚から垣ノ島遺跡まで
北海道を横断したばかり。
函館を発ったその夜中に地震が起きました。
現地へ気持ちを寄せ、
北海道全域の、北海道民皆さまの、
安寧と日常の復旧を祈るばかりです。

大自然を怖れ、感謝し、工夫を重ね、
継続を大事に共生した生き方を、
このたびも深く刻ませて頂きました。

写真の土面はキウスの近く、
千歳市内のママチ遺跡出土のもの。
千歳市埋蔵文化財センターで拝見してきました。

祈りの土面です。

以下、土面の解説より
—————————-
縄文時代の人々は、
人の力が及ばない生と死、
大自然の力に対する恐れや感謝、
願いなどの気持ちをもって
生きていたと考えられます。

さまざまな出来事に対する
気持ちを表す方法として、
土面や土偶、
子供の足跡などをつけた土版など、
粘土を用いた土製品がつくられたようです。

これらの土製品は特別な意味を持つ道具として、
いろいろな決まりの中でつくられ、
儀式の際などにも使われたと考えられます。

土製品は、
縄文時代に豊かな心の文化があったことを示す
大切な資料です。
—————————-

 

ママチ遺跡土面の解説

= よろしければシェアして下さいね =
大島の中津宮から港を望む(宗像)
Japan

天の真名井で醸した日本酒で、この身も清められたような

天の真名井(あめのまない)。
宗像三女神の次女・湍津姫神(たぎつひめ)を祀る大島の中津宮にあります。

境内のはずれ、鬱蒼とした坂を下ったところに湧き出ている聖水。この天の真名井の御神水で醸した日本酒があります。その名も「沖ノ島」。

真名井という名は各地にあり、神社に、滝に、霊水に、名付けられています。真名井とは聖水・清浄な水の意味で、「天の真名井」はその最大級の敬称です。

宗像では江戸時代からの酒蔵が2軒、今も地元に愛されるお酒を手作りで醸し続けています。
伊豆本店は享保2年(1717年)創業。
勝屋酒造は寛政2年(1790年)創業。

伊豆本店からは国宝をラベルにした神酒「宗像」が。
勝屋酒造からは天の真名井で醸された「沖ノ島」が。

世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、古代から今も変わらず続く海の民の祈りです。
天照大神の三女神、
「田心姫神(たごりひめ)」
「湍津姫神(たぎつひめ)」
「市杵島姫神(いちきしまのひめ)」を、
沖津宮・中津宮・辺津宮でお祀りしています。

三女神へ手を合わせてご参拝したら、一酌も、ありがたくいただきます。

 

【写真コーナー】—————-

大島の「中津宮」。鳥居の向こうには大島港が見える
大島の中津宮(大島港を望む)

大島の北側は見渡す限り、玄界灘!運が良ければ遠くに沖ノ島が見える
大島から玄界灘を(宗像)

中津宮の参道入り口
大島の中津宮 参道

森に囲まれた階段を登るのは身を清められているよう
中津宮 手を清め急な階段をあがる

中津宮の拝殿。厳か。
中津宮の拝殿

こちらは秋の神事「みあれ祭」前日の風景。沖津宮と中津宮の二女神のこの輿が明日には大船団に守られ湾を渡る。一年に一度、三女伸が辺津宮で会す大事な日。
中津宮の拝殿に2つの輿(みあれ祭)

古事記の一節。天照大神の勅。「海北道中(玄界灘)で神を助け奉りなさい」
天照大神の勅(大島の中津宮)

え!「宗像大神を奉斎する神社は全国に六千余社」も!?
そういえば、島根の出雲大社でも広島の厳島神社でも、見ました。
宗像大社中津宮のご由緒

うっそうとした坂を下り「天の真名井」へ
天の真名井へと下る道

霊水「天真井」
霊泉 天真井

中津宮御神水「天の真名井」で醸した「沖ノ島」と、大島限定販売の「おおしま」
日本酒「沖ノ島」と「宗像おおしま」

今や福岡のお土産の定番、ご当地めんべい。宗像はわかめ入りの「宗像わかめんべい」。パッケージはもちろん三女神!海の道むなかた館のミュージアムショップには地元のおいしい海産加工品も多くて評判が高いのですが、中でもこれは人気商品です。
宗像わかめんべい のパッケージ

 

= よろしければシェアして下さいね =
鐘崎のアワビ踊り焼き
Japan

海女のルーツと「アマアルキ」。鐘崎と能登の交流のワケが江戸時代にあったとは!

海女も、海の民です。
命がけの素潜りで干しアワビなどの交易品を支えた海女たちも、荒れる玄界灘を大陸へと渡った海人たちも、同じ海の民でした。

鐘崎は海女発祥の地です。

2017年に世界文化遺産に登録された、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群。宗像の漁師たちは古代からずっと宗像大社の三女神への信仰篤く、今も禁忌を守り続けます。

その宗像大社の秋の大祭の3日間は「みあれ祭」で始まります。大船団が満艦飾の大漁旗をはためかせ、湾を埋め尽くす壮麗な神事「みあれ祭」。勇壮な光景に見ているだけで高揚もしますし、同時に、思わず涙腺が緩むような胸に迫るものがあります。七浦の港の漁師たちの大船団。あの写真はどこかできっとご覧になっていますね。

鐘崎は、その七浦のひとつです。

海はすべてを運びます。
遣唐使も、
北前線も、
海女も、
海が運んでゆきました。

海女の出稼ぎを「アマアルキ」と言いました。江戸時代、海女は海流に乗って遠くまで流れ、各地に分村を作りました。遠くは能登半島までたどりついたそうです。能登の遺跡めぐりの折、某所の鎮守様であるお寺の案内板に「鐘崎海女が居ついた」という文を見た時には、あまりに意表をつかれ驚きました。渤海使を迎えた客館があるはずという地を、遠く中国の東北地方を描きながらめぐっていた時ですから、「鐘崎」がこんなところに!?ととても印象に残っています。

海女たちは、たくましく潜り、たくましく稼ぎました。
中国への輸出品として高価に取引される干しアワビなどで、海女たちが江戸時代の地域経済を支えたことは見逃せません。

同じ福岡県内、福岡市の志賀島でも、海女たちが今も潜っています。現役最高齢は75才と聞きました。

おかげで当地では、地元の海女さんたちが採るアワビもサザエも、ありがたく美味しく、いただいています。
ここは海の民の地だと感じる、幸せな時です。

【写真コーナー】——————

玄界灘を眺める「筑前鐘崎海女の像」。海女発祥の地、鐘崎漁港にて
筑前鐘崎海女の像

鐘崎の鎮守様「織幡宮」に、海女の像は立っている
織幡宮 鳥居の扁額

岬の突端の高台、急な階段をあがったら海を一望できる。有明海方面の古社とも縁が深く、記紀にも出てくる由緒あるお宮です
高台にみえる織幡宮

鐘崎のアワビ踊り焼き

みあれ祭を守る七浦のひとつ、鐘崎漁港。湾の突端の小高い丘に織幡宮と海女の像。
鐘崎漁港の眺め

「海女発祥の地 鐘崎」の碑。
「先祖は鐘崎海人と呼ばれ、進取の気性に富み、航海術に秀で各方面で大活躍をした。特に潜水の技術に優れた鐘崎海女は「西日本の海女発祥の地」として有名である」
海女発祥の地 鐘崎

海流にのってどこまでも「アマアルキ」と言われた出稼ぎに。能登半島の輪島で「鐘崎海女が居ついた」という案内板を見た時は驚いた!
(写真は海の道むなかた館 展示パネル)
鐘崎海女の出稼ぎ生活

江戸時代の中国貿易に干しアワビの需要が高まり、出稼ぎ・移住で海女の技術を広めた。ノウハウ伝授の先人です。
アマアルキの解説

対馬海流にのって、隠岐の島にも、能登半島までも。貿易品に珍重された俵物三品は、干しアワビ・イリコ・フカヒレ。
(以上、海の道むなかた館展示パネル)
アマアルキの活動エリア

鐘崎海女の道具は福岡県の文化財
(海の道むなかた館 展示)
鐘崎海女の道具

鐘崎海女のおかげで、美味しいアワビをいただけます。しあわせ。
鐘崎のアワビ踊り焼き

同じ福岡県内で西へ40㎞の志賀島でも博多湾に潜る海女が活躍中。こちらはサザエが有名。志賀海神社参道の中西食堂は大人気で、フランスからの観光客も探し当てて来店すると聞き、驚き。
志賀島の中西食堂

次々と注文が。ジュージューと焼ける音と美味しそうな香り!
サザエのつぼ焼き(中西食堂)

サザエを採る海女さん、最高齢は75才と聞いた。あれから2年‥。
博多湾のサザエが山盛り(中西食堂)

博多湾は内海なので志賀島サザエは柔らかい。今までお連れした方、皆さん絶賛!です
ジュージュー焼けるサザエつぼ焼き(中西食堂)

鐘崎漁港の朝焼け
鐘崎港の夜明け

今日も一日が暮れる
鐘崎港から望む夕陽

海女たちも見た夕陽。ここは海の民の地(鐘崎港から望む)
玄界灘の夕焼け(鐘崎港から)

 

 

= よろしければシェアして下さいね =