鐘崎のアワビ踊り焼き

海女も、海の民です。
命がけの素潜りで干しアワビなどの交易品を支えた海女たちも、荒れる玄界灘を大陸へと渡った海人たちも、同じ海の民でした。

鐘崎は海女発祥の地です。

2017年に世界文化遺産に登録された、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群。宗像の漁師たちは古代からずっと宗像大社の三女神への信仰篤く、今も禁忌を守り続けます。

その宗像大社の秋の大祭の3日間は「みあれ祭」で始まります。大船団が満艦飾の大漁旗をはためかせ、湾を埋め尽くす壮麗な神事「みあれ祭」。勇壮な光景に見ているだけで高揚もしますし、同時に、思わず涙腺が緩むような胸に迫るものがあります。七浦の港の漁師たちの大船団。あの写真はどこかできっとご覧になっていますね。

鐘崎は、その七浦のひとつです。

海はすべてを運びます。
遣唐使も、
北前線も、
海女も、
海が運んでゆきました。

海女の出稼ぎを「アマアルキ」と言いました。江戸時代、海女は海流に乗って遠くまで流れ、各地に分村を作りました。遠くは能登半島までたどりついたそうです。能登の遺跡めぐりの折、某所の鎮守様であるお寺の案内板に「鐘崎海女が居ついた」という文を見た時には、あまりに意表をつかれ驚きました。渤海使を迎えた客館があるはずという地を、遠く中国の東北地方を描きながらめぐっていた時ですから、「鐘崎」がこんなところに!?ととても印象に残っています。

海女たちは、たくましく潜り、たくましく稼ぎました。
中国への輸出品として高価に取引される干しアワビなどで、海女たちが江戸時代の地域経済を支えたことは見逃せません。

同じ福岡県内、福岡市の志賀島でも、海女たちが今も潜っています。現役最高齢は75才と聞きました。

おかげで当地では、地元の海女さんたちが採るアワビもサザエも、ありがたく美味しく、いただいています。
ここは海の民の地だと感じる、幸せな時です。

【写真コーナー】——————

玄界灘を眺める「筑前鐘崎海女の像」。海女発祥の地、鐘崎漁港にて
筑前鐘崎海女の像

鐘崎の鎮守様「織幡宮」に、海女の像は立っている
織幡宮 鳥居の扁額

岬の突端の高台、急な階段をあがったら海を一望できる。有明海方面の古社とも縁が深く、記紀にも出てくる由緒あるお宮です
高台にみえる織幡宮

鐘崎のアワビ踊り焼き

みあれ祭を守る七浦のひとつ、鐘崎漁港。湾の突端の小高い丘に織幡宮と海女の像。
鐘崎漁港の眺め

「海女発祥の地 鐘崎」の碑。
「先祖は鐘崎海人と呼ばれ、進取の気性に富み、航海術に秀で各方面で大活躍をした。特に潜水の技術に優れた鐘崎海女は「西日本の海女発祥の地」として有名である」
海女発祥の地 鐘崎

海流にのってどこまでも「アマアルキ」と言われた出稼ぎに。能登半島の輪島で「鐘崎海女が居ついた」という案内板を見た時は驚いた!
(写真は海の道むなかた館 展示パネル)
鐘崎海女の出稼ぎ生活

江戸時代の中国貿易に干しアワビの需要が高まり、出稼ぎ・移住で海女の技術を広めた。ノウハウ伝授の先人です。
アマアルキの解説

対馬海流にのって、隠岐の島にも、能登半島までも。貿易品に珍重された俵物三品は、干しアワビ・イリコ・フカヒレ。
(以上、海の道むなかた館展示パネル)
アマアルキの活動エリア

鐘崎海女の道具は福岡県の文化財
(海の道むなかた館 展示)
鐘崎海女の道具

鐘崎海女のおかげで、美味しいアワビをいただけます。しあわせ。
鐘崎のアワビ踊り焼き

同じ福岡県内で西へ40㎞の志賀島でも博多湾に潜る海女が活躍中。こちらはサザエが有名。志賀海神社参道の中西食堂は大人気で、フランスからの観光客も探し当てて来店すると聞き、驚き。
志賀島の中西食堂

次々と注文が。ジュージューと焼ける音と美味しそうな香り!
サザエのつぼ焼き(中西食堂)

サザエを採る海女さん、最高齢は75才と聞いた。あれから2年‥。
博多湾のサザエが山盛り(中西食堂)

博多湾は内海なので志賀島サザエは柔らかい。今までお連れした方、皆さん絶賛!です
ジュージュー焼けるサザエつぼ焼き(中西食堂)

鐘崎漁港の朝焼け
鐘崎港の夜明け

今日も一日が暮れる
鐘崎港から望む夕陽

海女たちも見た夕陽。ここは海の民の地(鐘崎港から望む)
玄界灘の夕焼け(鐘崎港から)

 

 

= よろしければシェアして下さいね =