朝鮮鐘(ちょうせんしょう)には、
他にない独特の特徴がいくつもある。
短頭龍頭や旗挿しや懸吊。
装飾帯や乳郭や飛天像。
その朝鮮鐘の、現存最古の在銘鐘が
江原道の古刹にある。
統一新羅初期の作。
でも、
この鐘に特別な想いが湧く理由は、
そこではない。
もう10年近く前のことなのに
思い出すだけで背筋が伸び、
胸の奥の水面が鏡のように静まるような、
刻み込まれた体験からだと思う。
山深くに分け入ったそこは、
夏なのに夕暮れには冷んやりした。
僧が数人、出てきて祈り始めた。
鐘の時間だったのだ。
その厳かさとあたりの静寂に圧倒され、
私たちは境内のあちこちで、
動けず、佇み、ただ頭を垂れた。
そして流れ始めた鐘の響き。
こんなにも柔らかく深く丸い、
音とも声とも囁きともつかない響き。
見渡す限りの峰々と、
生き物や草や木や山の声と、
私たちの細胞の一つ一つ、
何もかもと一緒になったような鐘の音が、
体の芯まで染み込んだ。
大きな大きな景色の中。
人も建物もない深山の只中。
あの鐘の音と
あの透明な空気は
忘れることはないだろう。
最古、とはきっとそういうことなのだ。
毎日、毎年、
あらゆる者の思いをコツコツと延々と
受け止め、重ねてきたということだ。
あの鐘は、
まるで生きた僧のように、
そのように思わせてくれた。
またあの地に立てることがあったなら、
今度はその鋳造の素晴らしさを
落ち着いて眺めることができるだろうか。