冬の北海道、銭函から積丹半島にかけての重く暗い海を見たなら、「石狩挽歌」という歌が風景と混じって体の芯まで染み入ってきます。
その歌詞に、「古代文字」が出てくるのをご存じでしょうか。
*「石狩挽歌」北原ミレイ
なかにし礼 作詞
浜圭介 作曲
フゴッペ洞窟と手宮洞窟は、そんな場所にあります。目の前の海が押し寄せるニシンで覆われたころには、贅をつくしたニシン御殿が創られた場所でもあります。
圧倒されるような岩刻画(ペトログリフ)は、日本ではこの2ヶ所以外には類を見ません。舟・魚・海獣のほか、何と言っても注目の絵は、フゴッペ洞窟の「翼で仮装したような人物」や手宮洞窟の「角のある人」。手に杖、四角い仮面、など、謎を秘めた興味深い人物も刻まれています。
いろいろな解釈がなされてきて、古代文字とも言われました。
今は「シャーマン」説が有力とか。
シャーマンはかつてシベリアから北東アジア全域に広く見られました。また、この2つの洞窟の壁画は、アムール川周辺の岩刻画と大変似ていることがわかっています。
シベリアのサカチ・アリアン遺跡とフゴッペ洞窟にはほとんど同じ「舟」の絵。手宮洞窟の「角のある人」とそっくりな絵もあります。
フゴッペ洞窟と手宮洞窟に岩刻画が刻まれたのは、約1600年前の「続縄文時代」。本州では弥生時代終わりから古墳時代初めの頃です。
当時のこの地の人々が、海を越えて北東アジアの人々と交流していた姿、そして、シャーマンが祈り天とつながっていた暮らしが、目に浮かぶようです。
*いずれも現地に保存・見学施設があります。
*手宮洞窟は現地施設のほか、小樽市総合博物館・運河館にレプリカ展示があり、他の遺跡関係とともに分りやすく見学できます。
*館内の写真等は、館に無断での掲載はご遠慮ください。
フゴッペ洞窟(国指定史跡)公式サイトは こちらです
手宮洞窟・保存館(国指定史跡)公式サイトは こちらです
【写真コーナー】——————–
フゴッペ洞窟のシンボル。何に見えますか?から見学が始まります。岩壁のたくさんの絵を眺めるにつれ、同じ絵がいろいろなものに見えてくるから不思議です。
これが本物の。
写真は余市町ホームページより。
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海岸に面し波に浸食された洞窟内に刻まれています。内部はガラス越しに保護し、見学施設内には説明展示もあります。
写真は禁止、ぜひ現地へどうぞ。
館の入り口。いよいよです。ドキドキ。
立地、絵の解説など、わかりやすい展示。海外からの見学者も常時いらっしゃるそうです。
パンフレットより。アムール川流域の岩刻画と酷似しているものが多いとか。
館の裏手にまわると、札幌から余市方面へのJRが。現役です。
余市方面へ
この踏切の名前が、なんと「古代文字踏切」。現役です。
古代文字踏切の名前の由来はこれ。線路横の斜面は、フゴッペ洞窟の背面です。
こちらは「手宮洞窟」(小樽市)。
「角のある人」が大勢いる!
手宮洞窟の現地保存・見学施設。(小樽市HPより)
「小樽市総合博物館運河館」。
こちらでレプリカを見学できます。今日はこちらへ。
館内の、手宮洞窟レプリカ
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「角のある人」
小樽市総合博物館は本館、運河館があり、この運河館は明治26年、加賀の商人西出孫左衛門、西谷庄八により建てられた「旧小樽倉庫」。建物そのものが見ごたえある展示物です。
北海道では珍しい瓦ぶきに、巨大しゃちほこ。
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歴史展示は見ごたえたっぷり!
忍路(おしょろ)環状列石(=ストーンサークル)や、
忍路土場(おしょろどば)遺跡。
縄文後期のこの遺跡は北海道では類を見ない低湿地遺跡。夥しい出土品が、すごいの一言。木製品も土器も漆製品も!
漆工の作業場あとも、
食物の加工調理の道具も、
ハンバーグをつくって焼いたらしい!器の貝殻も、ホッキ貝。おいしいものを食していた様子。
フゴッペ洞窟と手宮洞窟が面する小樽の海。なんと美しいことか。この海で繋がり、シベリア・中国・朝鮮半島まで、北東アジアと交流していた。