死者が装飾品を身につけるように、墓も装飾をまといます。色鮮やかに壁面が彩られたり、石棺の屋根や石室に絵や文様が刻まれたり。
それは閉ざされた闇の中で主の眠りとともにある、というイメージがありますが、そうでないものもあります。装飾は、地中に閉ざされた石室の中だけではありません。
この横穴墓の前に立つと、今まで見たことない、
異形の迫力と、
ダイナミックな造形美と、
岩の堂々とした質感に、
ガツンとショックを受けます。
吠えるような“パワー”を感じます。
石貫穴観音横穴と石貫ナギノ横穴は、同じ丘陵地帯の離れた場所にあり、前者は5基、後者は48基の横穴が掘られています(現時点の数)。
墓を創った人々は、首長が眠るその入り口を、幾層にも岩を刻み華やかな彫刻芸術として飾りました。
九州には横穴墓が多いのですが、こんなに凝った装飾は他に類をみません。
さらに驚くのは、
1400年も風雨や日光にさらされて、今もなお、
当時の「赤」
が岩肌にはっきり残り眼福を与えてくれること。1400年です。信じられないことです。
実測図や先生の解説を通してじーっと見ていると、消えかけている部分も目に映って、ここに赤い絵を描きつけた当時の職人さんが乗り移ってくるようです。ここに立って、岩肌をにらみ、赤い顔料を手に…。
この絵が、我が長(オサ)の墓の守護となり、悪霊を退散させるために。あるいは長の魂がでてこないよう封じ込めるために。
大事な役目を背負って、一心に岩に向かっていたのだろうなと。
石貫穴観音横穴、石貫ナギノ横穴は、内部の造りも独創的で豪華。決して広くない穴の奥に、遺体を覆う石屋形がしつらえてあったり、脇の屍床も彫刻された石板に囲まれていたり。石屋形にはなんと丸瓦まで彫刻されているし、家の形の屋根もある。そこに眠る人にあわせ、職人さんが腕を振るったのだろうな。
そして、何より胸に迫ること。
今なお集落の方たちの信仰の対象で、観音さまを拝み花が飾られ掃除が行き届いている様子に、ご先祖様の墓として地域の人に大切に守られているのが伝わってくるのです。こういう場所は、立てばわかりますが、地勢的にも本当にいい場所で、何か温かなものが感じられるのですよね。
九州には各地に横穴群が多くありますが、それぞれに地域の独自性があることが、楽しいし、当時の背景を想像させてくれます。
思えば、葬送儀礼というのは、自分たちのアイデンティティーを表し、伝える、大事な事柄のひとつ。今を生きている私たちもそうであるように、地域性があるのは当たり前かもしれません。
お墓って大切なものが凝縮されている。
遺跡の前で改めてそんなことを感じています。
*
装飾古墳王国・九州の、
石貫穴観音横穴墓・石貫ナギノ横穴群(熊本県玉名市)
*石貫穴観音横穴群・石貫ナギノ横穴群は、いずれも国指定史跡。大正時代に横穴・装飾古墳として第1期の指定をうけ、存在を広く知られることになった、記念碑的な史跡です。
*現地では立ち入り禁止エリアもあり、足元もあぶない箇所があります。くれぐれも無理は禁物、ご注意ください
*実測図は、熊本県教育委員会『熊本県装飾古墳総合調査報告書』1984 からお借りしました
【写真コーナー】—————-
石貫穴観音横穴。三重彫刻に赤。豪華!
肉眼でも赤い円文がはっきりと
入り口をぐるりと装飾が
案内板で全体図と文様をよーく見て、いざ現場
今も集落の観音様。階段を登ると、
奥の観音さまに手を合わせ、
正面奥のこんな横穴群へ
内部。大事な信仰の場所
正面と両脇、3つの屍床(ししょう)部。瓦付きの屋根まで!
両脇の屍床(ししょう)、船を刻んだように見えるのは気のせい?
こんな風に張り付いて見学。くれぐれも落下にご注意を
石貫穴観音へのアプローチ。あの丘の斜面に横穴が並ぶ
周囲はのどかで美しい場所。有明海へ出る交通の要衝に位置する
400m離れた場所に石貫ナギノ横穴群
250mも累々と。現在48基。まだ出てくるかも
赤い装飾がくっきりと
「お家(おうち)」と表現したくなる。周囲が崩落しており、横穴最奥の屍床(ししょう)だったところが露出している。ここで眠っていたのですね。
以下の実測図、原本はすべて、
熊本県教育委員会『熊本県装飾古墳総合調査報告書』より。
現地を見るのにとても分かりやすいです