夜明けの空をみることが習慣になった。
朝陽が照らして刻々と表情を変える雲と空。
赤がたくさんあること。
空は大きいこと。
雲の表情の豊かなこと。
美しくて涙が出そうになる。
知ってるつもりで、わかっていなかった。
空を飛ぶのが大好きだった。
飛行機ではずっと窓にはりついて、
雲の絨毯や眩しい太陽や豆粒のような地上の営みをみていた。
毎回のツアーも東京行きも、
空を飛ぶことが大きな大きな楽しみのひとつだったことに、
今更ながら気がついた。
当たり前ではなかったんだ。
空を飛びたい。
私でさえそうなのだから、
空飛ぶお仕事の方々は文字通り翼をもがれた時間の中、
どんなに辛く苦闘しておられるかと思うと胸がいたい。
飛びたいだろうな。
ただただ飛んで、お客様をお連れしたいことだろう。
そうか…、と気づく。
飛行機ができるまで、
人はこうして空を仰ぎ、
鳥になりたいと思っていたのだ。
飛びたい。飛びたい。空から地上を眺めたい。
その想いが飛行機を開発した。
技術で壁を越え、飛ぶことを手に入れた。
ほんの100年ほど前のことだ。
時が流れ、今の時代に私たちは、
違う理由で空を眺めて、飛びたい、と願っている。
技術はあっても、
飛ぶことを阻まれている。
これが、新しい時代なのだと思う。
環境も社会も、ずっと同じではいられない。
何かを手に入れ何かを手放すことを、
先人たちはずっと繰り返してきたのだから、
その当たり前の流れの一場面にすぎないのだと思う。
変わらないのは、空に憧れる想い。
その憧れを手に入れるために、人は努力する。
また空を飛べる幸せが戻って来るためには、
今までとは違う何かを乗り越える必要があるのだろう。
感染症はこれからも存在するし、
環境問題が何を引き起こすのか未知の近未来がある。
国も人種も関係なく、
皆が連携して科学を信じて立ち向かうことがなければ、
自由に空を飛ぶ日が戻ってこないとしたらどうだろう。
まだ見ぬ場所へ行けなくなるとしたらどうだろう。
そのために乗り越えるべき壁はなんだろう。
先人たちが技術の力で初めて空を飛んだのとは違う、何か。
きっといま私たちは、
目の前のコロナ拡大という事象だけでなく、
もっと根源的な何かに向き合っている。
それを皆で真摯に謙虚にのりこえたとき、
またあの空を自由に飛べるのだろう。
憧れて憧れて、
手の届かない空をずっと眺める。
こんな時間が私たちには必要だったのかもしれない。