海の青さと広さ。
ここが福岡市内、しかも福岡空港から車で30分の近さと聞くと、驚く方も多いです。
でもこれが福岡のそもそもの姿。
昔からずっと、海と生きた、海の民なのだと思っています。
万葉集でも海人や藻塩のことが詠われ、海とともに生きていた志賀島が二十首も登場します。
国宝・金印が出たことで有名なここ志賀島(しかのしま)は、古代の海の民「阿曇族」の本拠地。志賀海(しかうみ)神社への信仰篤く、わたつみの神と生きてきた地です。
世界遺産となったムナカタ族と同じで、志賀海神社も中津宮と沖津宮をあわせた3宮が島にあります。表・中・底の、わたつみ三神です。
今年、面白いプロジェクトが動いています。
1つは、九州大学ソーシャルアートラボとのコラボです。安曇族にちなんだ神楽歌 「阿知女作法」の沖津宮での奉納など。
もう1つは、京都観世会館でのお能です。桃山時代より謡い継がれる志賀海神社伝承の謡曲を、能の形として復曲、京都で初上演とのこと。
海の民「阿曇族」&能舞台。福岡市の横顔が芸術にいかに昇華するのか楽しみです!
ところで、
「阿曇族」をテーマとして毎年福岡で行われているシンポジウムがあります。
古代、阿曇族はここから全国各地へ散ってゆきました。海を経て川を遡り、その地へ根付きました。いま各地に「あずみ」の名が多く残っており、全国ネットワークも築かれています。長野県の「安曇野」は代表的なひとつで、毎年、志賀島と様々な連携企画を開催しておられます。日本の屋根、アルプス連山に抱かれた山の中で、海の神が祀られているという安曇野神社に、いつか足を運びたいと思っています。
志賀島の入り口にある志賀海(しかうみ)神社でまずはご参拝。古代からずっと宮司は阿曇家。海人の神、水と塩の神様。
まずは御潮井(お清め砂)。左→右→左とかけて清めます。砂というのが福岡流。あの山笠も、祭りのスタートは浜でのお汐井とり(清めの神事)からです。
こんもりした山に抱かれた神社へ登ってゆきます。
ここまでの長い参道にも宝篋印塔(ほうきょういんとう)や歩射祭の場や万葉歌碑など見所たくさん。境内には文化財も多い。神事のひとつ「山誉め祭」は、山を誉め、大漁を祈る。山があるから海があるという感謝。智恵とはこういうことだろう。
楼門。鬱蒼と茂る木々と眼下の青い海。しかも、海の中道をはさんだ外海の玄界灘と波静かな博多湾。海と山、どちらとも守り守られの暮らし。
御祭神は表・中・底のわたつみ三神。海の民に篤く信仰されている。神功皇后伝説が多く残る地でもある。ここでは絵馬でなく「絵魚」で願かけを。
拝殿へ。
拝殿の前にも御潮井。
はるか東を望む遥拝所。
神功皇后伝承が残る亀石。新羅遠征の折に阿曇磯良丸を通して安全を祈り、亀に助けられ無事に帰還したというお話。
国宝・金印の出土地。博多湾に面し、一直線の向こうには中国の洛陽、西安。江戸時代に地元の甚兵衛さんが見つけたという場所は、今は海の中。この横に、国宝・金印の実寸レプリカも展示されています。本物を観に、福岡市博物館へ、ぜひ。
志賀島の最奥、勝馬の地に、中津宮・沖津宮があります。中津宮は7世紀後半の古墳の上。勝馬を率いた海人集団の首長墓と思われる。
古墳頂上の社の横には、ささやかな遥拝所。地元の方が綺麗に手入れしておられる。ここから、沖津宮を拝むのだろう。
青い!透き通っている。中津宮から海側へ降りたら、こんな風景。ここはもう、玄界灘、外海である。右の小島が沖津宮。
沖津宮へは、干潮になると道が通じて歩いて渡れる。麓に鳥居が小さく見えているのがわかりますか?
さらに視線を右(=東)へ移すと画面右1/3ぐらいに相島が見える。平たい台形の島。積石塚がある。この辺りまでが阿曇族、その向こうはムナカタ族。
浅瀬では海藻を採る方があちこちに。ポイントごとに採れる海藻が違うのだそう。
志賀島のワカメは柔らかくて美味しいと、お土産にすると喜ばれます。
万葉集にも謡われた志賀の海人。海藻を刈ったり藻塩を焼いたりと忙しく、髪をすく櫛を手にすることもない、と。
阿曇族と古典芸能のコラボレーション。楽しみです。
潮見展望台から。海の中道の向こうに大都会福岡市のビル群や福岡タワー、大宰府へ続く水城まで見える。ここも福岡市です。
飛行機の窓から。福岡空港へ着陸前、海の中道を横切って降下中。海の中道に続く右奥が志賀島。