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日々あれこれ | Beyond the bridge - Part 3

韓国・中国・台湾・日本の遺跡

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旦過市場 水上マーケット
Japan 日々あれこれ 現地ショートコラム(Instagram)

旦過市場―最後の水上マーケット

旦過市場のこの姿がついに、なくなる。

北九州の台所。
日本で唯一となった水上マーケット。

長きにわたる建替え議論もいよいよここまで。
管理運営の優先交渉権者も決まり、
2020年度中には国の事業認可を得る予定。

大正時代、
川を行きかう船が荷を揚げ、
商売したのが始まりのここは、

100年のあいだ、
繁栄し、
戦時下には強制撤去をうけ、
戦後は闇市的な味さえまとって大いに賑わい、
小倉の庶民と生きてきた。

繁栄したころ、
川に支柱をたてて増築したのは、
今の法律に照らせば
建築面、防災面など、
問題はあるのはわかる。

そこをなんとか・・・、
という残念な気持ちは言うまいか。
当事者の方こそなのだから。

小倉で過ごした人ならば、
ひと目、お別れに行きたいはず。
目に焼き付けておきたいはず。

通学のバスの乗り継ぎで、
「旦過市場」停で降り、
早朝の市場を抜けていった自分なぞは本当に。

今年、見納めです。

Tanga Market, Kokura,Kitakyushu-City

The floathing market that continues over 100 years ago

 

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西南学院大学博物館 ツタのからまるレンガ壁
Japan 日々あれこれ 現地しっかりルポ

波打つ階段。西南学院大学博物館 -Seinan Gakuin University Museum-

素敵なキャンパスに誘われて、そうだ久しぶりに博物館に入ろうと思い立ちました。

美しい赤レンガ館。歩くといつも、ペギー葉山さんのあの歌が頭で響き始めます。

一歩入ると、磨きこまれた木の柔らかな雰囲気と、刻まれた時間と、ここで過ごした学生たちの大切なものが混じりあったような、外界と違うしんとした空気に包まれます。

何度も来ているこの館で、今日、急に魅かれたことがあります。

それは・・・

 

「波打つ階段」。

 

100年間、学生たちが歩き、座り、触り、笑いあった跡が、しっかりと残されているという驚き。

いいえ、
残っているのでなく、
残したのだと、
思いました。

建物が黙しつつ饒舌に語ることがある。
修復の際に意志を持ってそれを残すことがある。
そういうことかもしれない、などと。

2015年に100周年を迎えた学院の、数年年下のこの建物は、アメリカ出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリーズにより1921(大正10)年に完成しました。

16年前まで高校の現役の学び舎として活躍していたここは、学校が百道浜の新校舎へ移転した折に、キリスト教をテーマとした博物館となり一般にも公開されています。

建物に包まれて、建物と会話して、ありがとうという幸せな気持ちに満たされました。

<展示について。「魔鏡」はぜひ!>—————–

必見は「魔鏡」(江戸時代)です。
これを観るだけでも足を運んで良かったと思えるはず。

魔鏡とは、鏡の背面に目で見えないぐらいのわずかな凹凸を刻むことで光の乱反射が起こり、白壁などに像が映し出されるしくみです。ところが!ここに展示されている鏡は、背面を目で見たときの文様とは全く違う絵柄が壁に映し出されるという驚きの作品です。

展示の前に立ち、スイッチを入れて光があたると、

・・・壁にキリストが現れます!

禁教下での信仰が生んだもの。解説には「非常に高い技術に裏付けられた魔鏡中の傑作」とあります。

■西南学院大学博物館は 公式HP
■W.M.ヴォーリス氏は(株)一粒社ヴォーリズ建築事務所
建築群や宣教師からメンソレータムまで!

 

【写真コーナー】——————–

西南学院大学博物館(ドージャー記念館)。 福岡県指定有形文化財(2015) 福岡市都市景観賞を受賞(2000)
西南学院大学博物館 ツタのからまるレンガ壁

赤レンガ風で統一されたキャンパス。抜けるような青空と素晴らしくマッチ。
西南学院大学キャンパスはレンガ風で美しい

このチャペルで16年前まで祈りがささげられていました。
見事なツタ

建物はもうすぐ100才
SEINAN GAKUIN 1920

外壁と主な内壁はレンガ造り、屋根は木造トラス、床は木造。ジョージアンコロニアルスタイルを基調とする建物そのものが、見応えある展示物です
西南学院大学博物館(ドージャー記念館)は福岡県指定有形文化財

1階が展示室、2階と3階が吹き抜けの講堂。この講堂は校舎移転まではチャペルでした
正面玄関の白いドア

キリスト教関係の資料が展示されています。室内展示品は撮影できません
1階の廊下つきあたりが常設展示室

廊下のレプリカは、 ルーブル美術館蔵の「メシャ碑文」
入口すぐのメシャ碑文(レプリカ)

メシャ碑文

階段をあがり建物見学へ
2階への階段

ギシギシとわずかに鳴る足元の床も、光までも、柔らかく緊張を解くような
光あふれる階段踊り場

窓の外にツタと青空

2階ホールには当時の設計図。設計者は宣教師・建築家のW.M.ヴォーリス。
建築時の設計図

手書きのサイン。
AUDITORIUM&ADMINISTRATION BUILDING FOR  FUKUOKA MIDDLE SCHOOL KYUSHU
設計図の手書きサイン

1921(大正10)年から、ついこの前の2003(平成15)年まで、高校生が毎日を過ごしていたのです
ドージャー記念館の建物プロフィール

修復にあたっては、建築当時の写真や資料を徹底的に調べ、照明に至るまで同様に復元したそう
チャペル

柱も、窓も、
チャペル吹き抜けの様子

磨きこまれた長椅子も、変わらずそこにある。
磨きこまれた木の椅子

最前列から入り口方向を。

吹き抜けの3階から。入学式も卒業式も、お祈りもここで。
チャペル3階席から見下ろす

今回、急に魅せられたのは、
階段 磨きこまれた木の味わい

ほぼすべてが「そのまま」ということ。ただ、木の床だから優しい印象だったのでなく、

よくよく見ると、学生たちが踏みしめた部分がすり減っている。真ん中は歩かないんですね。左右2列に柔らかくへこんで波打っている。
差し込む光と木造の階段

こんなにカーブを描くんだ!
すり減った木造階段

式典や会合やミサ、学生たちだけでない多くの人を思うと、100年でどれだけの歩を受けたのだろうか。
波打つ階段

椅子もそのまま。きれいに修復はされたのでしょうが、
チャペルの椅子は昔のまま

何万回と座った跡がみえるようです。
木造イスの深い艶

たくさんの学生がつかんだ跡も、

座れば、その時の景色がそのまま、当人なら友人の声やざわめきまで聞こえるのかも。

たまに帰ることができるこういう場のおかげで、誇りを思い出し、感謝を思い出し、よしもう一度頑張ろうと背中を押してもらえるのだろう。いつもは忘れられている位が、ちょうどいい距離なのかもしれない。
西南学院博物館(ドージャー記念館)チャペルの全景

 

 

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伝飛鳥板蓋宮跡
Japan 日々あれこれ

「入鹿、生けりせば」ー『謎の豪族 蘇我氏』の強烈な一節 -Asuka-

連休に本を読んで籠っている幸せ。
このGW、強烈に刺さった一節です。

「入鹿、生けりせば」

水谷千秋氏『謎の豪族 蘇我氏』の小見出しです。

蘇我入鹿といえば、あの絵。
『漫画・日本の歴史』の、その瞬間の絵。

ヒーロー中大兄皇子が、悪党入鹿を殺すシーンです。あの頃は、どの家にも学校の図書室にも『日本の歴史』がありました。あの絵が記憶の底に刷り込まれているのは私だけではないでしょう。

宮殿で公式行事の最中に、
天皇の目前で惨殺された蘇我入鹿。

その乙巳の変を皮切りに、勝者・中大兄皇子(天智天皇)たちにより大化の改新がなされ、白村江の戦を経て、青丹よし奈良の都の華やかさに続いていきます。

大仕事を成した中大兄皇子は、のちに天智天皇になってから、激動の白村江の時代を生きた母・斉明天皇の菩提を弔うために、観世音寺を建立しました。

白村江遠征の間際に斉明天皇が崩御した九州の、大宰府に。今その大宰府一帯は「令和」フィーバーの中にあります。
(ちなみに斉明天皇が滞在し崩御した宮は諸説あり未だ確定されず。九州考古学の最大の謎ともいわれる興味深いテーマです)

・・・・・

これが、当たり前に聞いてきたストーリー。
ステレオタイプのヒーローと悪党の理解。

でも・・・、
入鹿とはどういう人物だったのか、
思えばほとんど知りませんでした。

蘇我一族があまりに強大に過ぎたかもしれない。
若気の至りで反感を買う所業もあったかもしれない。

でも、

才知にあふれ、
激動の東アジア情勢を熟知し、
国際感覚を持ち、
「国家の計を成さむや」と考えていた、
入鹿。

その頭の中にはどんな「国家の計」、
どんな世界が描かれていたのか。

その頃は危険を感じてか肌身離さず持っていた剣を、宮中に入る前に芸人の話芸に笑いながら預けるという致命的なふるまいも(これもだまし討ちの一環)。水谷氏が記すように「英雄の豪胆さを」感じてしまいます。

歴史とは勝者が書くものと
つくづく思います。

歴史に「もしも」は無いけれど、
読者としても想像せずにはおれませんでした。

「入鹿、生けりせば」

『古代豪族と大王の謎』『謎の豪族 蘇我氏』(いずれも水谷千秋氏)と続けて読み、豪族に浸ったひと月。また違う人間ドラマが見えてきました。

蘇我稲目・馬子・蝦夷・入鹿に会いに、
飛鳥をゆっくり歩きに行こう。
同じ景色が、今までとは違って見えてくる気がします。
あと、秦氏の親分にもすごく会いたくなっています。

 

*写真は「伝飛鳥板蓋宮跡」
入鹿が惨殺されたのは、すべての入り口をふさがれたこの宮殿の中。その日は豪雨で、雨の中へ投げ捨てられた入鹿の遺体は、むしろをかぶせられたという
伝飛鳥板蓋宮跡

伝飛鳥板蓋宮跡の解説

 

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飛行機から大宰府政庁と大野城
Japan 日々あれこれ

空から大宰府政庁 令和初日に Dazaifu

新しい時代となりました。

私たちがいつも本で読み、
講座で学ぶことが、
目の前で繰り広げられています。
今もこの場所も私たちも、
1000年、2000年の後には、
同じように過去の歴史となっていきます。

いつも触れている歴史も、
単なる文字やモノでなく、
遠い過去の時間の中で生きた「人」だということ。

血が通い、
喜怒哀楽があり、
世の理不尽や無常、
そして希望の積み重ねであったということ。

当たり前のことに思いが至ります。

豆粒のようなこの毎日を、
せめて明るく一所懸命、
いい時代だったねと
バトンタッチできるように過ごしたい。

 


「令和」で話題の大宰府政庁を空からどうぞ。
(写真は昨年)

古代山城の大野城の右の麓に「大宰府政庁」、
政庁左奥に隣接するのが”令和”で話題の「坂本八幡宮」、
右には「学校院跡」や天智天皇(中大兄皇子)が母の斉明天皇を弔うために建てた「観世音寺」、
少し離れた右奥の青い屋根が「九州国立博物館」、
その手前の森が菅原道真公を祀る「太宰府天満宮」です。

 

白村江の敗戦後には、
この古代山城で、
遠く博多湾を見張り、
今日なのか明日なのかと
唐の大軍が攻めてくることにおびえ、
緊迫した長い長い時間を送った時もあったとは。

歴史に惹かれるのはそこに「人」があるから。
場所を越えて、今この時の横軸へ。
時間を越えて、今この場の縦軸へ。
縦横無尽にもっともっと「人」に会いに行く。

では良い一日、良い時代を!

飛行機から大宰府政庁と大野城

 

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